2007年09月20日
サーサーン朝
サーサーン朝は、アケメネス朝と同じくイラン高原のパールス地方から勃興した勢力で、特に始祖アルダフシール(アルダシール1世)自身がゾロアスター教の神官階層から出現したこともあって、様々な変遷はあったもののゾロアスター教の王権思想と強い結びつきを持った政権であった。
後期サーサーン朝では官僚的中央集権化が進み、その諸制度は後のアッバース朝などのイスラム帝国に引き継がれた。 また、後代シーア派のイマームや、サファヴィー朝の宗祖サイイド・サフィーユッディーン・イスハーク(1252/3年 - 1334年)がサーサーン王家の血を引いているなどの伝承が生まれた。
特にカスピ海南岸の地域ではズィヤール朝やバーワンド家などサーサーン朝時代まで遡る名家が、(他の地域同様)アラブ征服時代以降にイラン方面まで進出したハーシム家などの後にサイイドと呼ばれる人々と婚姻を結んで来た歴史を持つ。
その為、現在のイラン民族にとって、アケメネス朝ではなく、サーサーン朝の方が直接の国家的祖先と見なされている。
これは近代化の影響だけでなく、そもそもサーサーン朝時代の歴史などを編纂し始めた王朝末期やアッバース朝時代の頃には、すでにアケメネス朝時代は完全に神話化・伝説化し、セレウコス朝時代については失伝、パルティア時代も殆ど忘れ去られていた状態で、過去への歴史的な憧憬は神話時代を除くとペルシア文学ではサーサーン朝後期のホスロー1世の時代が特に賞揚されてきた伝統によっている。
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